鉛の風船

ロックです ジャズです ぼんくらなおっさんです

受け継がれていく “物” たち

これから待ち構えている春真っ盛りな数々のイベントをクリアするため、昨日も今日も仕事でした。

 

姪っ子(高2)は昨日、同級生のうちの寺でおこなわれた古本市の手伝いに借り出され、初夏すら通り越した陽気の中、初めての体験を存分に楽しんできたようです。

境内でおこなわれた古本市には絶好の日和でした。
異常なほどの暑さではありましたが、風もなく、かなりの人出があったようです。

今日は、一日中暴風が吹き荒れていたので、一日ずれたら大変でした。
さすが、仏様は見ていらっしゃる。

 

姪っ子は売り子もやらされたそうで、学校でバイトを禁止されている彼女としては相当新鮮な体験だったようです。
得意の社交性を発揮して、シリーズ物の1巻を買おうとしている方に全巻押し売りしたりしてかなりの売り上げを叩き出し、主催者に感謝されたそうです。

らしい、、、。

今日、ウチにやってきて、ハンパないテンションで逐一報告し、私の仕事を邪魔していました。

 

別の市なので、詳細は知りませんが、一般から広く古書を集め、古書店も協力してなかなか大々的におこなわれたようです。
以前、姪っ子が私の本も何冊か持って行っていました。
売り上げは寄付するそうですので、大震災絡みかと思います。

 

ただ、一人のお年寄りの男性が、“どうせお前ら日当が出るんだろ、タダで集めた本を二束三文で売って寄付とか言ってるならお前らの飲み食いや日当を寄付しろ(姪っ子よりの又聞き)” とグダをまいたそうです。

 

もっともかもしれません。

本は、文庫本なら数十円、新書版でも百数十円、立派な本でもせいぜい数百円程度だったそうですので、経費をそのまま寄付してしまったほうが手っ取り早いと言うのも頷けます。

姪っ子も美味しい食事を振舞われ、数千円の図書カードを貰って来たそうですし。

 

でも、そんなこと言ってたら何も出来ませんよね。
そもそも、ボランティアだろうが何だろうが、人一人の時間を拘束した時点でそれはまったくのタダというわけにはいかないのですから。
例えば、登録カード一枚にしたってそれはタダじゃない。
日当はないにしても、何かやればそこには必ずお金が付きまといますよね。

 

主催サイドが古本市というイベントを計画し、それにかかる経費を算出し、実際にはやらずにそれをそのまま寄付してしまうのと、賛同した多くの方々、古書店、などみんながみんな “かの地” の為にと古書を持ち寄り、それを “某なんちゃらオフ” の買い取り価格も真っ青な価格で売る。

食事や若干の酒も振舞われたもろもろの経費は、開催された寺持ちだったのかもしれません。
あるいは、檀家も協力しているか。

 

甘いと言われそうですが、お金の価値が違うと思うんです。

 

自分が寄贈した本が売れているのを見れば、きっと暖かい気持ちになる、役に立てている気持ちになる、そして本も新たな持ち主と共に新たな旅に出ることが出来る。

 

姪っ子はいただいて来た図書カードより、HMVのギフトカードのほうがよかったなんて言っていましたが、何だか清々しそうな、いつもとは少し違う、ちょっと、ほんのちょっとだけ、大人な顔をしていました。

 

いい経験だったのではないかと、誘ってくださった関係者の方に感謝しています。

 

ありがとうございました。

 

あ、もう、日付では今日だ。
今日、地元のある催しに呼ばれています。

 

我が県はその被害の大きさのわりに軽症者が数人いただけで重傷者や死者はいなかったので、追悼の意味はないわけで、出来れば思い出したくない、でも絶対に忘れちゃならないとそれぞれが思っているのは確かなので、行って来ます。

 

我が町も、あの日以来空き家が増え、馴染みの住人も随分減りました。

でも、空き家はどんどん空き地になり、新しい家が建ち、新たな住人が若干ではありますが増えています。

 

あの日から “たった” 2年!

私も、私の家族も、姪っ子も、姪っ子の家族も、りょうも、じんないも、近所のじいさん、ばあさんも、クソガキ共も、誰も彼も元気にしています。

 

14:46 が少し怖い、、、。