鉛の風船

ロックです ジャズです ぼんくらなおっさんです

秋と秋と秋

秋も盛りですが、我裏山の木々の葉はまだまだ青々としています。
山頂を望むと黄色がかってはいるようですが、地味なのでよくはわかりません。
ナナカマドやモミジのような、紅葉界の花形、トップスター “錦華 彩葉(キンカ アヤハ)” 、 娘役 “茜 紅葉(アカネ モミジ)” みたいな女子キャーキャーな役者(もちろん架空)は少ないので、気付いた頃には、枯れ山に赤や黄色がポツポツみたいな色気のない姿で、ガッカリさせてくれます。

 

でも秋は着々と冬にシフトしようとしている。
もっとゆっくりでいいのに。

 

あんなに裏山ばっかり行っていた愛猫 “りょう” が、最近はほとんど家の中にいて、日向とシンクロしながら惰眠を貪るようになりました。

昨日の夕方、アーオ!アーオ!アーオ!と突如上空が騒がしくなり、近所のヘタレ犬 “ジンナイ” が尻尾を股間に突っ込んだまま小屋の奥で震え、そこらのじいさんばあさんが “もうそんな時期か” と感慨にふけり、“りょう” は知らんぷりを決め込み、そんな下界を尻目に雁の小さな群れが我県最大の渡り鳥の越冬地へと飛んで行きました。

役人が、裏山どころか、その麓にある公園の東屋にまでクマが出たと注意を喚起しに来ました。
でも麓の公園って、ウチのすぐ裏。歩いて5分弱、どーせよと?

田んぼはすっかり裸になり、畑には、大根やさつまいも、さといも、一年中オッケーな小松菜などがまだまだ元気にしています。

隣家の庭には、黄色い小菊が満開になっています。
私の大好物。
茹でて、酢を多めにきかせた酢醤油に一味をバサッとかけて食べる。
でも今は一味は食べられない。
もう、ホント、菊大好きです。マツタケなんておととい出直せ、ってほど。

 

そして私は、初夏の頃に “がん” が見つかり、当時はそれなりの覚悟もし、、、、、ウソ、そんな覚悟が出来る人間なんて居っこない。
超遅い走馬灯のように、記憶がある幼稚園辺りから、楽しかったことだけ思い起こし、涙とよだれで枕カバーをカバカバにしながら、次ぐ朝、つけたテレビのNHKニュースで日付が一日進んでいることを半ベソかきながら確認し、どんな “泣けました!” な映画もかなわないほどのスリリングな朝と付き合っていた。

でも、治療が上手くいき、退院して、あっという間に一つの季節を越えることが出来ました。
もうすぐ間もなく、もう一つの季節も越えられる。

秋が、新たな季節を迎えられることが、こんなにも嬉しいなんて、生まれて初めての経験。

私の体の何処かの細胞の奥深く、今はしたたかに眠りにつき、覚醒の機会を見計らっているかもしれないアイツの分身。
今、目を覚ましても不思議ではないし、30年後でも不思議ではないそう。
なんだか、日本を脅かす地球大地の強大な無慈悲のよう。

 

だから、ブロガーのみなさんが載せる、美しい写真、何てことない日常の話、旅行の話、ちょっと修羅場な話など、自分では体験し得ない様々な日常に夢中になるのです。
そこにその時その瞬間に、まさに一人の人間が生きている、その具体的な温度を感じ取ることができる、そんな気がするのです。
なんとも素晴らしい。

 

今日、廊下の陽だまりで、何されても気持ちいいしかない、の心持ちで寝ている “りょう” に、姪っ子(高2)のファービーをけしかけてみたら、いきなり目の横辺りに食いつき “ぐぅぅぅ、、、” と言って、“絶対離すもんか” になってしまいました。

ちょっとヤバそうだったので、ファービーの尻尾でホイホイホイッと気を引くと、強烈なネコパンチが、私の、右手の、中指の、爪とそれが載る皮膚の間の超デリケートなゾーンにヒット、ヤツは外そうとしてドタバタするし、その度、研ぎ澄まされた爪の先端は確実に接触面を貫き内部まで侵攻しようとする、ギヤーーー、痛い!!!

今、右手中指、キーボードも打てないほど腫れてます。

 

こんな他愛無い痛さすら、私にとっては、今しばらくは、生きている証です。