鉛の風船

ロックです ジャズです ぼんくらなおっさんです

ブログはおっさんがじじい化するのを阻止する極上のツールだ、たぶん、、、

毎日のようにあちこちのブログを拝見しながら、感心したり、目を開かせられたり、笑ったり、ホッとしたりなどしているのですが、何より凄いと思わされるのが、やはりみなさんの視点と構成力というか文章力です。

 

こればかりは、逆立ちしても到底敵わない、レベルが違う。

せいぜい補助倒立しかできないけど。。。

 

私は、たとえば何かがあり、後でブログに書こうかな、と思ったとき、忘れないように愛用のエディタで、ダァーーーとメモします。
簡単に、要点だけ、でも、思い出せる限りのすべてを。
会話なんて、相手の顔を思い浮かべながら、後で思い出せるギリギリの範囲にまで削ぎ落とした言葉をやはり思い出せる限り並べていきます。

 

自慢ではないですが、自慢ですが、この愛用のエディタと愛用のキーボードを前にしたとき、私のタイピング速度はネコにも負けません。

たいてい数分で終わります。

 

で、後でゆっくりとそのメモを元にブログを書くわけですが、省略しすぎているため、思い出せないのですね、これが。
結果、メモの残骸はどんどん増え、挙句削除。

 

結局、メモなんかしているヒマがあったら覚えている内に書いてしまえ、なのでしょうが、なかなかそうもいかない。

べつにそうまでして書く必要はないのでしょうが、そろそろ頭の回転が鈍ってきているおっさんには、これがそれなりにいい脳のトレーニングになっているのです。

 

タイピング自体好きなので、いいストレス発散にもなっているのかもしれません。

 

アナログとデジタルの狭間でもがいているおっさんは大変です。

 

みなさん、あれだけの文章をいきなり書いているのでしょうか。
やはり、オープンな場に自らの文章を発信しようという方々は、基本的なレベルが違います。

 

でも、そんなことを考えつつ、稚拙なエントリーを垂れ流し続け、それがまた楽しいし、刺激的なのですから、ブログというのは不思議な魅力があります。

 

で、今日あった出来事をひとつ。
これは、新鮮だし中身もないので、メモする必要もありませんでした。

 

午後、駅のホームで電車を待っていると、反対側のホームで、なんだかこちらに向かってお辞儀をしている男子高校生がいました。
なかなか体格(スポーツ系)がよく、制服を着ていなければ高校生とはわからないほど。

それほど人の多くはないホームで何か言いながらしきりにお辞儀している。

周りには数人しかいないし、自分を指差し “私に言ってんの?” なポーズをすると思いっきりうなずく。

 

声はホームを取り巻く喧騒にかき消されまったく聞こえませんでしたが、顔はしっかりと見えました。
まったく知らない子。

 

何だ?誰だ?新手の詐欺か?など脳をフル回転させるも電車がやってきたので、その場はそのままとなってしまいました。

 

結局なんだか分からず夜までモヤモヤしていたのですが、夕食時にかかってきた1本の電話、それですべてが氷解しました。

電話の主は、先日東武動物公園に一緒に行った小学生のお母さん。
ピアノ教室仲間、通称ゲーム少女の友人の母親でした。

 

私にお辞儀していたのは、その友人、仮称お友達少女のお兄さんとのこと。
東武動物公園でたくさん撮った写真を家族で見ていて、その写真に写っているおっさんがまさに目の前にいたので挨拶した、でも分かってもらえなかった。

 

当たり前。

 

妹がお世話になったおっさんを目ざとく見つけ、お辞儀する兄、わざわざそれを補完する電話を入れる母親、お友達少女、いいご家庭で育っているようです。

 

ちょっと、心温まる出来事でした。

 

それにしても、写真でだけ見ていた人間を、駅のホームで見つけるとは。

 

私、そんなに目立つか?